F香川です。
ブログ書いててよかったなと思う瞬間がありました。
文章にして起こすと自分の考えが纏まって今までの考え方とは違う新しい価値観に気付くこともあるんだなと思いました。
一つ前のブログで特定の人物に当てはまる様に大好きな物について語る人間を二種類に括って話をしましたが、その例として持ってきた服好きの悪い例に出した人こそが今回話そうと思う人物です。
その人物は着ている服のどんなところが好きなの?と聞くと服のカルチャーやストーリーを話し始め、いやそんな事はどうでも良いわい!とこちらの服に対しての熱量を奪う様な説明をするんです。
僕はそれを服というジャンルに自信がないから知識量で納得させようとしているのかなと思っていました。
こんな人間が服造りの先頭に立ったら間違いなく新規のお客さんは、こいつの話聞いてても全然買いたくならんわぁとなり業界の衰退に繋がるのだろうとまで考えていました。
しかし服に置いてはブログを書き進める途中から(あれ?服好きってそもそもアピールする事自体が難しいジャンルなのでは?)と思い始めました。
服は見た目が全てな趣味なだけに説明すると熱量が奪われてしまうのでいくら服好きの彼が愛していても伝え方の良し悪しによってはこちらの興味が失せてしまうのは自明の理でした。
映画はこの映画のここが最高!だとかこの役者のこのシーンに心奪われたとか感情が乗りやすいぶん熱量が伝わりやすいです。しかし、映画の起源だとかそのへんを話されてもこちらの興味は全く失せてしまいます。
でも服を話そうと思うとシルエットや着心地が映画の中身だとすれば、服のカルチャーやストーリーが映画の起源で、服愛を伝えようとすると着心地やシルエットを伝えても仕方がないのでどうしても服のカルチャーやストーリーを話さなきゃいけない事になってしまい、最終的にこちら側の熱量が奪われてしまうのでは無いかなと考えました。
又吉さんは服好きですが、あまり話さずにも生き様を見せることによって皆が服好きを悟ってくれる位置にあります。
しかし服好きの彼は「何でそんな高い服買っちゃうの?」とこちらが煽る事で服好きの熱量を伝えざるを得ない状況に置かれていました。
これでは服好きの彼が如何に服好きであろうとこちらが悟ることも出来ずに、単純に服好きの俺が好きな痛い奴とこちら側が勘違いしてしまうのも仕方のないことでした。
好きな事を説明し分かってもらうには相応の熱量がいるし、どれだけの熱量があろうとこちら側に伝わらなければミーハーのチンカス男と思われてしまうのだなと今回は思いました。
そして服好きの彼の話は頭ごなしに否定する事はもう辞めてちゃんとどうしたら服好きが相手に伝わるのかから話始めようと思います。
愛してる事を否定されるのは辛いよなぁ、すまんかった。但しお前の音楽好きとスケボー好きだけは俺は一生言い続けるからな。