衣食住に執着がないから、それを査定の基準にしている人を見ると嫌になってしまう。
もっと奥の奥にある人間性を見てから、人を好きになるか嫌いになるかを決めるべきじゃないのか?
一年前にネットでゲーム好きの女性と知り合った。
顔をお互い知らなかったから気楽だった。
自分ははっきり言って顔が良い。そんな自分を目当てにしてくる女性は今まで何人か見たことがある。
そんな人達とは価値観が合わなくて別れたし、自分から願い下げだと思った。
だからこそ完全にお互いのプライベートを知らないという事が幸せだったし、時間をかけて好きになっていった。
先日僕は初めてプライベートを明かした。というより話のネタに僕の住んでいる家が使えそうだと思ったからなんの気無しに明かしてみただけだ。
僕の住んでいる6畳の家はとても人に見せていい家じゃなかった。玄関の階段は一人通れるくらい細いし手すりもボロボロ。扉は風で開くしなにより細い。
6畳と言ってもとても縦長な6畳だ。バスのような間取りに僕は寝床を構えていた。
その家の外観を僕はその子に見せてみた。ほんの話のネタのつもりだった。
以後の返信はなかった。僕は実質振られたんだ。
結局の所、人の事を好きになるという事は衣食住という最低の生活水準を備えてからでないと話にならないということを知った。
僕はそこの辺に大変疎いし、友達も僕の家を好きだと言ってくれていた。僕もこの家が実は好きだ。
この事を思い知ってからは人間と付き合う事は無理だと思った。一気に視野が狭まって、女性人口が35億人から7人くらいに減った様な思いだった。
結局金が必要な世の中で僕は生きていかなければいけないことが嫌だったけど、少し前向きになるなら生活水準さえ整えれば何とかなるのかも。とも思えた。
初めて東京にきて打ちのめされて、人の価値観を知って、生きづらさは更に増したけど頑張ろうと思った。
ありがとうございます。僕はこの家と共に成長していければと思います。