僕は実家が結構好きだ。
冷蔵庫を開けると昨晩の残り物が必ず入っている。僕は、部活が終わった後もバイト帰りも、仕事で失敗した後も絶対にその残り物に手を付けていた。
冷蔵庫から取り出した冷えた煮物は、出来立ての温かい煮物よりも大根が染みていてホロリと口の中で崩れる。四六時中腹が減っていた僕は、飯を温めるという時間を惜しんで、冷えた煮物と、冷めたみそ汁と冷ご飯をキッチンで立ち食いしていた。
余談だが、うちのじいちゃんは「ともじい」という愛称で呼ばれていて、よくみそ汁をマグマのような熱さに加熱している。
話がそれてしまったが、ここで勘違いしてほしくないのは、僕は別に「待て」ができない訳ではない。カップラーメンは固めんが好きだから15秒くらいで開けてしまうけれども、電車の時刻表を守らず線路に飛び込んだりはしない。電車がホームに止まったのを確認し、扉が開くのをじっと待ち、降車する人が全てはけた後にゆっくりと乗車する。
うちの飯は冷めててもうまいのだ。真にうまい飯は冷めていてもうまい。温める時間や、熱々になった皿を持つことを考えたら、冷めた飯を食ったほうがもっともっと満腹になっている気がする。
今思えば、僕のおふくろの味は一度冷蔵庫を経由した後の飯なのかもしれないと思うほどに、冷めた飯を毎日食っていた。
そんな僕が、絶対に温めなおして食べるご飯が一つだけあった。
「カレー」なのだ。絶対に温めて食べたほうがうまい。鍋で冷えたカレーが冷蔵庫に入れられているのを見て、僕は(かわいそうに!)と思う。すぐに冷蔵庫から鍋を取り出して中火にかける。ゆっくりと底から救い上げるようにかき混ぜるのがカレーを焦がさないコツだ。
カレーは、僕が温めなおして食う唯一の食べ物だった。うちのカレーでなければ温めていただろうか。それは誰にもわからなかった。
深夜、カレーをつまみ食いしようと一回のキッチンに向かうと、暗闇の中で兄がカレーをむさぼっていたときは、ドラック?と思った。僕も兄が温めたカレーを食った。
「誰が温めてもうちのカレーは最高や!」僕がスプーンを掲げて言った。
しかし、その翌日に悲劇は起こった。
朝起きてカレーを見に行くと、カレーがすでに温まっている。(みんなカレー好きだな・・・いや、俺も好きだけども!)と心の中で唱えながらカレーを白米の上によそった。
カレーをテーブルに運びながら、棚からスプーンを取り出した。
(あかんわ・・・)僕はテーブルに着く前に、我慢できずカレーを一口食べた。
からーん
スプーンが地面に転がった。
「焦げてる・・・」
クーデターだ。
誰が?
あ。
(みそ汁をマグマのような熱さに加熱している。)
あいつだ。
これは「僕」と「ともじい」が仲が最悪になるまでを綴っていく日記だ。