太陽みたいにずっと明るい人もいれば、夜みたいにずっと暗い人もいる。
他人を見ているとそう思いがちだが、一瞬だけ自分の中身に目を向けると、一色で判断出来ないのは確かだと言える。
人はシチュエーションで、明度を変えているので白と黒に分ける事はできない。
僕は芸人として活動してる時は明るいが、舞台を降りると落ち込む事が多い。
舞台上の明るさと、自分のもう一つの本性との差分にいつも羞恥心を覚える。
(無理しちゃって。)と自分自身に呪いをかけ続けていると、奇声を発せずには居られないぐらい毎日気が荒ぶる。
しかし、芸人として喋っている時は本性の明度を限りなく挙げている状態であって、これも本当に自分ではあるのだ。
僕は断じてネクラでは無い。
小学生の頃の僕は友達にも困っていないし、明るいだけの可愛い生き物だった。
そんな僕が覚醒の日を迎えた小学4年生の時。
バスケ部の体験入部に行った時に、6年生の女の子2人が自分にパスを教えてくれた事があった。
キレもノビもない僕のチェストパスをみて、2人が「上手上手!うまいよー!え!すごーい!」と褒められた時に、僕は本当に本当に惨めで、恥ずかしくて、同時にめちゃくちゃムカついていた。
お世辞の文化がまだ無かった頃の自分が、真っ当では無い評価を受けた事への抵抗感か、それとも過剰なおだてで喜ぶと思っている小学6年生の、浅ましく傲慢な考えになのか分からないがとにかくめちゃくちゃムカついた。
この人達は僕を犬だと思っているのだろうか。
そんな風に思っていた。
「褒めて伸びない人もいるよ。」と、胸で三角を作ってパスを受け取りながら言った。
6年生の女の子2人は「え?何こいつ、なんかキモ。」と顔を近づけて笑っていた。
この日僕は、少しだけ暗さも内包した人間である事を自覚した。
明るいが、少しだけ暗さを内包した人間。
これが僕だ。
言ってる限り、暗さのみを感じたかと思うが、これは僕の余裕ゆえだ。
僕の明るさは語るまでもない、舞台の上の僕、ラジオの僕、旅行に行く僕、外食をしている時の僕、これらの僕は語るまでも無く明るい。
ただ、等身大以上の褒め方をするから泣けてくるだけだし、等身大の自分がスベるから恥ずかしいだけの事だ。
僕は等身大の自分が褒められるのが大好きで、真っ当な評価を受けるのが大好きだ。
真っ当ではない評価は、良いものも悪いものも全て嫌いだ。
ただの僕がちゃんと出来た時は、たくさん褒めてほしいし、ただの僕がスベった時はちゃんと酷評する。
頑張ってよく出来たな。という実感の日にたくさん褒めて貰える時に、僕はたまらない気持ちになる。
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