ともじいと過ごした中での一番古い記憶は、家の前で二人でキャッチボールをしたことだ。
まだ小学校にも入学していなかったと思う。そんなセピア色の思い出の中に、ともじいから後々の人格形成に関わるまで、深く刻み込まれた教えがあった。
僕は青色のミズノの刺繡が入ったグローブをつけていた。ともじいは・・・分からない。もしかしたら素手でキャッチボールをしていたかも。うちは、グローブを買うお金が無いほど貧乏ではなかったが、野球からは縁遠い家系だった。だからこそ、ともじいとのキャッチボールはいまだに覚えているくらい新鮮だったのだろう。
「おみゃー。」
意識していなかったが、ともじいは昔僕たち兄弟のことを、「おみゃーら」と呼んでいた。ともじいは岐阜県民だ。いつから名古屋弁を使うようになったか、岐阜も同じ方言なのかは分からない。
「いじめっ子がおったら殺さなかんよ!」
当時の僕は、「ふーん、うん。」と当然のようにその言葉を浸透させていた。むしろ「絶対にそうじゃん。」と思っていた。
しかし、僕の学校にいじめはなかった。僕はいじめっ子からいじめられっ子を守るべきガーディアンとして学校に入学したはずなのに・・・
『いじめっ子がおったら殺さなかんよ!』
「でも、ともじい。この学校にはいじめっ子はいないよ?」
『いじ・・・こ・・・な・・かんよ!』
「ともじい?」
『・・・さ・・・なかんよ!』
「なに?よく聞こえないよ!」
『・・・殺さなかんよ!』
「・・・!」
『殺せ!』
「・・・殺す、だけならこの学校でも・・・」
僕は初めて振るった暴力を鮮明に覚えている。ドッジボールで僕をからかった出富という男に腹パンを入れた時のことを。
初めて振るった暴力の衝撃は凄かった。出富は腹を抑えて地面に転がった。僕は、自分が振るった力に怯えて泣いた。
泣いた僕を、憐れんだ一人の友人が僕を庇った。光希が庇ってくれた。味を占めた僕は、泣きのギアを一段階強めて更に同情を誘った。もう力に怯えて泣いたことなんて忘れていた。この時はもう泣くことのメリットを踏まえた上での泣きだった。
光希は、何故か出富に怒っていた。保健室に連れていかれた出富に「わざとらしい!」と憤りをあらわにしていた。続けて光希は「先生に言いつけてやろう!」と言い出した。
なんで!?光希!それ俺が怒られる・・・
「光希~!それはやめとこうよ~!」
僕は泣くのを一旦やめ、何故かこの場の誰よりも冷静じゃない光希をなだめることにした。
「いや!言う!ゆうちゃんもっと泣きや!」
光希も泣くことが有利であることは分かっているらしい。
「うっうっうっ・・・ダメだ、泣けない。」
「ゆうちゃんのお母さんが出富に殺されたと思って!」
「うっうっ・・・だめだ、ムカついて泣けない。」
「とにかく泣いて!」
こんなやり取りをしていた記憶がある。なんか悟空が悟飯をスーパーサイヤ人に覚醒させようと試行錯誤しているときに、同じようなことを言っていたような気がするが、まあ奴らと同じようなやり取りをしていた。
昼の放課が終わり、泣き真似をしながら教室に戻った。
ぬるーっと事件は解決に向かい、拍子抜けしたことを覚えている。よっぽどの事をしない限り、子供の暴力は、大したことないと片付けられた。
僕は、暴力の味を知った。