ヒキズる日記

ずっと引きずってます。

変わる事をマイナスと捉えすぎていた

少し前から挑戦って大事だなと思うようになった。と言うのも、今までは自分の中で捨てたくないプライドがあまりにも多かった。なりたい自分が『それはやらない方がいい』と止めてくるのだ。要は失敗を恐れていた。声の大きい人間は目立つが、ただ大きいだけでは耳障りだ。しかし、じつが伴わなっていると人気者になれる。

 

僕はいつの間にかスベる事に怯え、拡声器の電源を落としてヒソヒソと暮らすようになっていた。仲間内に面白いと思われていればそれで・・・なんて奥まった考え方になっていた。

 

合わない人間とは話さなければいいしな。と距離を離していると、段々と気の合う人間が限られていくことに気づいた。そもそもが余り良くない事を考えている人間なので、合わない人がほとんどだ。なので、今は友達と呼べる人間は1桁しかいない。でもまあ、この事実は自分の中では意外に誇れる部分だったりする。理解できない人間もいると思うが、この感覚は多分これからもズレない。

 

しかし、そっぽを向くと社会の住み心地は急に悪くなった。生き辛さはあった物の、気の合う友達と会って愚痴って笑って、やっと息を吸えた週末を噛み締めてまた仕事に行く。そんな風に日々コツコツと積み重ねた鬱積を爆発させるように、話の通じない彼女を8時間説得して別れて、上司に反発して胸ぐらを掴まれて、お笑い芸人になると上京した。半分は逃げだしていたのかもしれない。それもあって一年はふらついていた。働かずに貯金を崩して食って寝るだけの毎日を過ごした。正直言うとこの時の一年は人生の暗闇に歩みを止めてしまっていたんだと思う。

 

それからしばらくして、東京にあまり考え込まないタイプの友人が引っ越してきた。地元では関わっていなかったが、居場所も無いのでよく家に上がりこんだ。久しぶりに肉声で話すのは気持ち良かったが、そこでは人種の違いに怒りを覚えたり、抱いた劣等感もそのまま怒りに変換したり、ほとんど怒っていたけど(こんなふうに生きられたら)と思っている事も確かだった。

 

「面白そうだからやってみた」と新しい傷を作って、二股をかけてピンチになって、高尾山でナンパして山登りがずっと気まずかったりした時には、「はぁ、こりゃだめだ。」なんて思いながらふと、失敗しないように生きようとしている自分だけに何も起きないことに気づいた。(不器用なので細やかな失敗は沢山する・・・)

 

強すぎるこだわりはスケールを小さくする。あいつと居ても面白くないから、やっても面白くならないから。遠ざけ、詰って、残ったこだわりは惨めさだけを痛感させてくれた。

 

結局スケールのデカイ男になるには、何でもやってみる事が大事なんだろうなと思った。最近はバイト先でカッコつけない練習をしている。少しずつ解けていく鎖に自然とボケ数が増える。今日はその辺で拾ったアイロンを使っている話をした。怪訝そうに見る女性陣の目が清々しかった。

でもまだ、カッコつけたい自分がメガネを拭くフリで素顔を見せたがる。メガネを外した自分のほうがイケてると思っているからだ。5分に1回は拭いていた。

 

この調子で残すプライドと捨てるプライドを分けた後、少しは面白くて大胆な自分になっているといいなと思う。